辛抱する、ということ
近所の作業場では界隈の門松作りが佳境に入っています。
早朝から職人さんたちがせっせと作業をしているのを眺めるのが朝のウォーキングと共に日課になり、今年も残り少なくなってきたことを実感します。
2020年を大きなふるいにかけると、辛抱という言葉が残りました。
なんだか自分にとって「辛抱する」ことがとても大きなテーマになっているのです。
そもそも何故に辛抱かと言えば、バイクの走行ラインからの発想です。
バイクでコーナー(カーブ)をまがるときに、どうしても遅くなってしまう、あるいは曲がりきれずにバランスを崩してしまう。その理由としていくつかの点が挙げられるけれど、大きな要因は最善の走行ラインから外れているため。
私の場合、コーナーを速くクリアしたくて、つい内側にどんどん寄っていってしまうクセがある。
そこをアウト…アウト…アウトと、グッと辛抱して、ちょうど良いところでスーッとインにつける。
このアウト…アウトと、辛抱することで無理なく、速く、美しくコーナーを抜けることができるはず。
ある日、まるで雷のようにこの辛抱の大切さに打たれ、以来ずっと気にかかっています。
例えば、沈黙。
ラジオに出てる時なんぞは特にそうで、わずかな沈黙でも怖い。怖いから何かしゃべってしまう。
しかし沈黙の中に無限の表現があったりする。
怖い、ものすごく怖い。でもそこをグッと辛抱することで、次の言葉が生きてくる。
バイクもコミュニケーションも同じように、辛抱の先に新たな景色が広がるのではないか。
つまり辛抱とは決して苦しいとか悲しいとか悪いことではなくて、むしろ次に繋げるための前向きな行いではないかと思うのです。
改めて辛抱という言葉を調べてみると、「心法」という仏教用語が語源にあるらしい。
心の法。
心を鍛え、心を修める。
バイクを通して得た「辛抱」という気づき。
この気づきをもってバイクのスキルを上げ、ひいては生き方、そして人間としてスキルアップして、成長を続けていきたいと思います。
とは言え根がせっかちだからなのか、臆病だからなのか、何なのか…
なかなか辛抱ができないのが今の己の現実ですが。
このテーマ、来年もずっと続きそう。